人類初の原子爆弾 その第二ステージはアメリカで起こります。第二次世界大戦も終わりの頃の一九四五年七月一六日、アメリカのニューメキシコ州「ホルナダ・デル・ムエルト」に「世界の頭脳」が集結して、人類初の原子爆弾の実験が行われました。 予想されていたとはいえ、そのすさまじい爆発の威力に、それを見たすべての人に強烈な印象を与えたのです。当時、迫害を逃れてイタリアから移住し、初期の原子力科学をリードした、天才エンリコ・フェルミは、爆風で飛んできた紙切れをみて、爆発のエネルギーを計算したと言い伝えられています。 このエピソードはフェルミの頭の良さを物語るものですが、それほど頭の良い世界の頭脳が集まったのに、あの爆弾を市民の上に落としたら、その下で何の罪もない少年少女が地獄の苦しみを味わうという当たり前のことすら気がつかなくなったのです。頭の悪い人たちです。 「現代は想像力の欠如の時代」と言われますが、まさにそれは「ホルナダ・デル・ムエルト」で始まったとも言えるでしょう。 そして第三ステージは中東です。 一〇年ほど前、イラクのフセイン大統領のクウェート侵略に端を発して「湾岸戦争」が起こりました。国連軍を主とする、いわゆる多国籍軍の爆撃は全世界にテレビ放映され、その画面は居間に入りこみ、弾頭にテレビカメラを装着した巡航ミサイルがイラクの施設を爆撃する様子を映しだしたのです。 戦闘はむごたらしいもので、血の通った人なら、平静な気持ちでは人の死を見ることができないものですが、この湾岸戦争では、お茶の間で、しかも自分の楽しみのために人が死んでいくのを見物したのです。 イラクがいくら遠い国でも、日本とは違う砂漠の国であっても、そこに住んでいる人は日本と同じ、おそらくは現代の日本人より人情の深い、素晴らしい人たちかもしれません。そして、砲弾がイラク軍の戦車に炸裂すれば、その戦車のなかにいる兵士はあえない最期をとげます。 それでも、兵士は死を覚悟して戦場にでているのですから、ある程度はしかたないかもしれません。しかし、その兵士には愛する家族や、彼を心配している母親もいます。その人たちは自分の家族が国を守るために出征しているとき、愛する人がのっている戦車が砲撃を受けるのを見ていられるでしょうか? 人間のこころの憤れや変化は恐ろしいほどです。機関銃は目の前でばたばたと倒れていく人間を人形のように見る術を人間に与えました。あまりに連続的な死は一人ひとりの死の苦痛を感じさせなくなったのです。原子爆弾は、その力があまりにも大きいために、人の想像力を超えていたようです。そして、湾岸戦争ではテレビでした。映像は「バーチャル・リアリティー」と言われますが、実際には、リアリティー(現実感)を持たない、架空の世界のできごとのようにわたしたちに語りかけたのです。 いったい、機関銃や原子爆弾、そして巡航ミサイルはなんのために創造され、誕生してきたのでしょうか? もちろん、人間を殺すためです。機関銃はそれまでの小銃に比べて、格段に高い「効率」で人間を殺せるようになりました。機関銃ができてみると、いちいち、引き金を引くたびに一発しか弾丸がでない小銃はバカらしくなります。それより、一度、引き金を引けば数十人を殺せる方が「効率的」であるのは間違いありません。 さらに、原子爆弾の殺人効率は抜群です。一発の原子爆弾を使えば、一〇万人を殺傷することができ、さらに水素爆弾を投じれば、一〇〇〇万人も一度に殺すことができるのです。目的さえ間違っていなければ、こんなに「効率」が良い方法はありません。 しかし、原子爆弾で判ったことは、人間はすでに一度に一〇万人も殺傷する兵器を前にして、その想像力が追いつかなくなったということです。「これを使ったらどうなるか」が判らないで使うほど恐ろしいことはありません。そして、それが現実に、広島、長崎で起こったことなのです。広島、長崎でわたしたちが学ぶことの.一つは、単に戦争が悲惨であるということに加えて、感性が乏しくなり、想像力がなくなることの恐ろしさでしょう。 湾岸戦争もそうでした。テレビ画面で見る映像から、わたしたちの感性が、どの程度の範囲を感じることができるのか、その限界を示したのです。あのテレビを見ていた多くの人たちのなかには、目の前で人が殺されるのをとても見ることができない、人間性豊かな人だったと思います。本来、人間性豊かで、繊細な人が、「巡航ミサイルがイラクの戦車を破壊する」という画面では、想像力が働かないのです。 目の前にある「ほんの小さなこと、手に触れるもの」は、気がつき、それが気になってしかたがないけれども、「大きなこと、全体的なこと、そして遠くのこと」に対しては、感受性が失われてきているのです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231017 46