しあわせみんな 三号店

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「日本の二酸化炭素」は日本を汚さない

「日本の二酸化炭素」は日本を汚さない わたしたちは、いつも「環境」、「環境」と言っていますが、いったいその「環境」とは何かを著者の研究室の議論を参考にして考えてみます。 学生は四年生になると、研究室に入ってきて研究を始めます。半分くらいの学生は大学を卒業してそのまま会社に就職しますが、大学院に進学する学生も増えてきました。大学の四年から大学院二年間を研究室で過ごすと三年間、研究することになりますが、それでも会社のように、何十年と同じところにいるわけではありません。 そこで環境を研究する学生も、毎年、新しく変わります。その学生が最初に聞いてくる質問はこうです。 「先生、二酸化炭素は環境に悪いのですか?」 著者が礫境問題を取り上げて研究し始めた頃、最初にこういう質問を受けたときには、「おっ、勉強したな」と思って、次のように説明しました。 「二酸化炭素は長波長の光を吸収するから、地球から宇宙に逃げる熱を遮る。だから地球が温暖化する。ただ、地球が温暖化したら環境に悪いかどうかは不明。海水面が上がるという説と変わらないという考えがある。たとえ、海水面があがってアメリカのニューオーリンズは沈むかもしれないが、地球が暖かくなればシベリアの森林が増えたり、雨が増えて砂漠が少なくなるという学説もある」 ところが学生のほうが一枚、上だったのです。 「いや、先生、計算ができないのです。日本で発生した二酸化炭素は上空の偏西風で太平洋に行ってしまいます。だから、二酸化炭素をいくら出しても環境負荷は変わらないのです。 日本で石油を燃やすと確かに二酸化炭素が出る。その二酸化炭素はすぐ偏西風にのって太平洋にでる。太平洋に出た二酸化炭素は空気より重たいので、徐々に海面近くに降りてきて海水に吸収される。ハワイにもアラスカにも到着しない」とその学生は言います。たしかに論理は正しいし、これまでの研究からも温帯地方の大洋では二酸化炭素の吸収が速いのです。学生はよく調べていますので、わたしの下手な質問にはぜんぜん動じません。せいぜい、偏西風がかなり上空であることを指摘する程度ですが、日本に風が吹いていることや周りが海であることは否定できません。 それでは、日本だけのことを考えずに、地球環境的にはどうか? と聞きますと、「もし、二酸化炭素が海水に吸収されなければ問題ですが、海水に溶けてしまうのですから地球探境にも問題ありません」ということになると、脱帽せざるを得ないのです。 実は、一口で「環境に良い」といっても何が環境に良いのか判らないことが多いのです。二酸化炭素地球温暖化の原因になるから悪い、と単純に考えているときにはよいのですが、環境の研究をする場合には、それではあまりに雑です。 さらに、とりあえず、「二酸化炭素は環境に悪い」ということを仮定して、「製造のときにゴミを出さず、二酸化炭素を出さない商品が環境に良い」という基準で「環境に良い商品」をリストアップすると、今度は、輸入品ばかりが環境に優れた商品としてあがってきます。 考えてみると、輸入品が環境に良い商品になるのは当然です。国内で原料から作ると、作る工程でゴミも出ますし、二酸化炭素も発生します。ところが輸入品は外国で作るので、それを輸入する場合にはせいぜい港から販売店までの輸送だけが環境に影響を与えることになります。 ただ、輸入品を買うお金は、自動車や家電製品などの輸出品ですから、輸入する商品の環境負荷はすべて自動車と同じとするとこれも変な結論になります。 また、最近では日本に「鉱山」というものが無くなりましたが、もし鉱山が日本にあったら、鉱山から掘り出して作る製品は極端に環境の負荷が大きいので、日本の鉱山からの資源はできるだけ使わない方が環境に良いという結論になります。鉱山の鉱毒はできるだけ外国に押しつけた方が日本の環境には良いことになります。 このように、日本の環境を問題にすると行きづまるので、学生に「地球環境という視点から計算をしなさい」と課題を変えます。するとすぐ、質問が来ます。 「先生、地球環境を計算するときに、国ごとの基準を同じにするのですか、あるいは白人は汚して良いとか、黄色人種は汚れても良いとかするのですか?」 この質問をされるとお手上げです。 日本の環境を計算するとき、東京都に住む人は環境が汚れていてもかまわないとか、東京で売るものは環境に悪くてもよいなどと勝手に決めるわけにはいきません。 この問題が地球喋境では表面化するのです。地球に住む人が環境に関して等しい権利を持っているとすると、環境を汚しているのは先進国ですから、その生産量を落とせばよいという計算になります。日本は二酸化炭素の発生量を六パーセント減らすように政治的には圧力をかけられていますが、地球環境を考えると、二酸化炭素を八〇パーセント以上落とさなければ開発途上国と比較できなくなります。つまり、日本の環境だけなら、ある程度の科学的な合理性をもって計算できますが、「地球環境」となると政治的な判断が必要で、科学的には決めることができません。まして、「世界の人はみな、等しく環境を享受できる」と仮定して「良心的な環境派」を自認すると、直ちに日本の生活レベルを五分の一以下に落とさなければならなくなるからです。 そこで、また方針を変更して、「愛国的環境論で行こう。せめて日本の環境だけは守ろう」ということに戻ります。 著者と学生のこの一連の話で判ってもらったと思いますが、一言で「環境に良い」と言いますが、その内容がいかに難しいかを示しています。だから、滅多なことで「君は環境を汚しているじゃないか!」とか、「これは環境に悪い商品だから税金をかけるべきだ!」などと叱ることはできないわけです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231031  96