しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

● 日本はロシアから二酸化炭素の排出権を2兆円で買うのか

● 日本はロシアから二酸化炭素の排出権を2兆円で買うのか 京都議定書を守っても守らなくても環境は全く変わらないのだから、京都議定書は実質的には何の意味もないだろう。 しかし、今までのメンツもあるため「実効力はないかもしれないが、世界の人が心を一つにして環境を守ろうとしたところに意義がある」と言って頑張る人もいる。しかし、これも事実に反する。 なぜなら驚くべきことに、日本は京都議定書の締結国の中で約束を守れそうにない国のトップだからだ。 日本は1990年の二酸化炭素の排出量を基準にして、2010年には6%削減すると約束したのに、自動車を生産したり、エアコンを使ったりして6%削減どころか、14%も上がる予測である。6%下げるところを14%上がるのだから、約束との差は実に20%に達する。 京都譲定書は地球温暖化の抑止力はないが、心の問題だと言っている人間が、実はまった<二酸化炭素を削減する気がなく、むしろ大幅に増やしているという現実を見ると情けなくなってしまう。 しかし、奥の手がある。、一つは、ロシアから二酸化炭素の排出権というものを買う方法である。京都議定書というのは政治的な取引が多く、地球環境を守るという国際条約としては問題の多い条約である。

つまり、ある国が二酸化炭素を削減する約束をしておきながら、実際には二酸化炭素を削減することができない時には、ニ酸化炭素を削減する余裕のある国から削減枠をお金で買いとり、それを約束に充てることができると いう方式が認められている。 お金を持っていれば、お金で間題を解決できるというのなら地球の環境保護に向けた「心の間題」である京都議定書はその存在価値を失う。 それでもなりふり構わず、日本はロシアから二酸化炭素の排出権を2兆円で買うと見られている。 実に情けない。 地球温暖化を防ぐための条約なのに、自分で京都議定書の精神を破り、二酸化炭素をどんどん出して、「お金で買えばいいのだろう」という理屈は酷いではないか。 その一方で「アメリカは京都議定書を批准もしないで何を考えているのだ!」と非難する。もし京都議定書を守る気がないのなら批准しない方が余程スッキリしている。 京都議定書で日本がやっていることをもし個人レベルで行えばすっかり世間の信用をなくすだろう。 「みんなで心を合わせて町を綺麗にしよう」と呼びかけ、掃除に出てこない人を非難し、それでいて当の本人が出てこずにお金で雇った人を出すということと同じだからだ。それも掃除するところのピントが外れていて町はほとんど綺麗にならないという有様だ。 昔の日本人ならこんなに誠意のないことはしなかったはずだ。しかし、森林、水素、そして新幹線と二酸化炭素に関わるウソばかりついてきて、当の本人も何がなんだかわからなくなったというのが地球温暖化をめぐる問題の実情ではないだろうか。 つまり、ある国が二酸化炭素を削減する約束をしておきながら、実際には二酸化炭素を削減することができない時には、二酸化炭素を削減する余裕のある国から削減枠をお金で買いとり、それを約束に充てることができるという方式が認められている。 お金を持っていれば、お金で間題を解決できるというのなら地球の環境保護に向けた「心の間題」である京都議定書はその存在価値を失う。 それでもなりふり構わず、日本はロシアから二酸化炭素の排出権を2兆円で買うと見られている。 実に情けない。 地球温暖化を防ぐための条約なのに、自分で京都議定書の精神を破り、二酸化炭素をどんどん出して、「お金で買えばいいのだろう」という理屈は酷いではないか。 その一方で「アメリカは京都議定書を批准もしないで何を考えているのだ!」と非難する。もし京都議定書を守る気がないのなら批准しない方が余程スッキリしている。 京都議定書で日本がやっていることをもし個人レベルで行えばすっかり世間の信用をなくすだろう。 「みんなで心を合わせて町を綺麗にしよう」と呼びかけ、掃除に出てこない人を非難し、それでいて当の本人が出てこずにお金で雇った人を出すということと同じだからだ。それも掃除するところのピントが外れていて町はほとんど綺麗にならないという有様だ。 昔の日本人ならこんなに誠意のないことはしなかったはずだ。しかし、森林、水素、そして新幹線と二酸化炭素に関わるウソばかりついてきて、当の本人も何がなんだかわからなくなったというのが地球温暖化をめぐる問題の実情ではないだろうか。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230905  163