しあわせみんな 三号店

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環境の三つの意味

環境の三つの意味 最後に、わたしたちが普段、なにげなく使っている「環境」という言葉についてまとめてみます。環境には、少なくとも三つの意味があります。まず、 ● 第一は普通に使われるいわゆる「環境」で、人間に対して外的な存在です。「周囲環境」と言ってもよいでしょう。 周囲環境は本著で「架空である」と表現したように、ものの時代に破壊されてしまいました。だから、わたしたちはそれを作り直す必要があります。それも、日本中をコンクリートで固める前に思い直さなければなりません。 そしてこれから作り直す周囲環境は、「ものの時代」の名残をいっさい消し去るくらいの覚悟が必要です。例えば、ガラスのリサイクルが進められていますが、ガラスのリサイクル自体はそれほど問題はありません。リサイクルしやすいガラス製品は、混じると性能が落ちるアルミニウムを丁寧に除いてリサイクルすれば有効でもあります。 そのなかで、ガラスをリサイクルするとクロムという元素が徐々にたまる問題もあります。こちらの方は、環境という意味で別の問題を投げかけます。クロムの蓄積は、ガラスが汚いグリーンの色に染まる結果をもたらします。 「ものの時代」には環境を次のように考えます。 ……ガラスはリサイクルした方がよい。ものは大切にしなければならない。色が少しぐらい汚くても、ものを大切にすることの方が重要だ……。 それに対して「こころの時代」はこう考えます。 ものは大切にした方がよいが、それより大切なのはこころだ。汚い色のビンに入った飲みものを飲むくらいなら飲まないほうがマシ。 ● 第二の環境は自分の体とこころです。それについても本著では宇宙人や骨が盗まれる、そしてお酒などを例にとって説明をしました。現境は周囲環境だけで成立しているのではありません。 いかに優れた自然環境が提供されても、それを受け止める体とこころがなければムダというものです。その点で、環境とは、周囲環境と、自分という一つのまとまった宇宙としての、内的環境があることを指摘したいと思います。 著者の友人で自然派の人がいます。その人があるときこのように言いました。 「北海道に自転車旅行に行ったときのことです。そのとき、強烈に感じたことがあります。それは不思議なことに、それまでオートバイで行ったときと同じ景色を見ているのに、自転車で行ったときの方がものすごく美しいのです!」 額に汗をかかなければ景色は美しくない……このことは、環境が周囲環境と内的環境でできていることを端的に示しています。そして、 ● 第三の環境は人間のつながりでできる「つながりの環境」です。 この社会は、自然や人工物というもので組みあがった環境(周囲環境)と、人間の体とこころという環境(内的環境)、そして、多数の人間がお互いの関係で成立する「情報環境」でできているように思われます。この人間同士のつながりによってできる環境はまだ明確にその存在が示されているわけではありませんし、自然や人工物のように物質で示すこともできません。しかし、多数の人間がかもしだすある特定の情報は、それが組み合わさり、常に高密度の情報が交換され ることによって実体をもつものになっているように感じられるのです。そしてこの傾向はインターネットなどの情報技術が進んだ世界では、より主要な役割を果たすようになると考えられます。 生物の世界には原始的なボルボックスの生態研究などである程度、研究が進んでいますが、まだ「環境」という視点ではとらえられてはいません。ただ、本著が時間、感動、そして愛用品について触れたのは、環境が単なる周囲環境や内的環境にとどまらず、人と人の関係によって生じる情報環境にも目を向けてもらいたいとの願いからです。 わたしたちは、人類の叡智を信じたいと思います。それは地球上のすべてのものを食べ尽くす凶暴な草食動物ではなく、部分の正しさを主張して全体を見失うほどおろかでもない、そういう存在でありたいと願います。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311207  209