しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

人間の真の幸福は、人間社会全体が、永続的に豊かな生活をするため

人間の真の幸福は、人間社会全体が、永続的に豊かな生活をするため 人間には「医学」という都合の良いものがあります。病気になったら熱を冷まし、ケガをしたら修繕ができます。それはそれで結構ですが、そのために、他の動物まで、実験動物として犠牲にするのは共存とは言えないと考えられます。 人間の健康と医学の発達のためだけに、これほど、自由自在に動物を実験に使う、生命を軽んじるという態度は、やがて生物としての人間に、「命の尊厳」を忘れさせるかもしれないからです。 もちろん、地球そのものとの共存を考えたら、ビルを壊した廃コンクリートで日本の平野をすべて埋め尽くすということもできないはずですし、太陽電池ですら、太陽の光を借りるという点で多少なりとも遠慮する気持ちがでると思います。 少しでも長く生きたいから実験動物を使うのは正しい、少しでもものが欲しいから土をコンクリートで覆ったほうがよい、というのは「部分的な正しさ」です。人間の真の幸福は、人間社会全体が、永続的に豊かな生活をするためであり、それにはおのずから制限があることを知らなければなりません。 わたしたちは、「地球にやさしく」「環境を守る」と盛んに言っているのに、繰り返し「共存」を唱えているのに、片方でそれと全く違う行動をとっていることが判ります。それは、「裏でサルを実験動物として使い、表でサルと友達になろうとしている」ようにも見えるのです。 架空の環境は人間にとって都合の良いように思いますが、それは人間から「誠実」を奪っているように思えます。普通の神経の人だったら、サルと友達になろうとしているときに、そのサルをアルツハイマーにさせることはできないでしょう。人間には良心もあり、「痛むこころ」があり、矛盾した行動をいやがってきたのです。 「冷凍食品」のところで、わたしたちは自然との距離が遠く離れていることを知りました。そして、「人間肝臓ブタ」では、わたしたちが他の生命との共存をやめようとしていることも知りました。 人間は、「命」と「自然」という、一番、大切な環境と決別しようとしているように感じられます。もともと、環境は「誠実」なものです。自然、そこに棲む生物は、みんな、自分を守り、少しでも長く生きようとしても、死は等しく、偶然に、そして厳然として訪れ、すべてのものがその現実に従容として従ってきました。 そして、自然は、正直で現実的です。突然、強い風が吹き、これまであんなに苦労して巣をつくり、やっと雛が大きくなりはじめたのに……そのためにこそ、これまで長い間、苦労に苦労を重ねたのにそれが一瞬のうちに飛ばされる……希望は希望、望みは望みであり、そして現実はそれとは別にある……それが自然です。 このような自然の環境がわたしたちの周りにあればわたしたちのこころは誠実になるでしょう。ウソはウソ、矛盾は矛盾として感じ、決して「裸の王様」にはなりません。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311206  206