しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

一万年前のDNAが覚えている「人にやさしい環境」

一万年前のDNAが覚えている「人にやさしい環境」 そのような環境のなかでできたDNAがわたしたちの体のなかにあるのに、現在のわたしたちの生活は全く違います。本著で最初に示した「冷凍食品」「空中で寝ているわたしたち」は違いを象徴しています。 冷暖房でもこのズレがよく感じられます。 「暖炉」「ペチカ」そして「炉端」という言葉からわたしたちは何を思うでしょうか? 赤くゆらゆらと燃える火、その火の熱で火照ってくる頬、そして炉端での団らん、すべてはこころあたたまる情景です。 「エアコン」の暖房はそれとは感覚が違います。温度だけは高いけれど、何か寒々とした風。乾燥した空気。部屋の中に舞い散る細菌。そこには心地よさも人の交流も感じられません。 クーラーを使うと奇妙なことが起こります 。 夏のクーラーは冷やしすぎると「冷房病」になります。そのときの室内の気混はおおよそ二〇℃で、外に出ると三〇℃です。温度差は一〇℃。 「冷やしすぎると体に良くない」ということになります。 一方、暖房では、部屋のなかを二五℃に暖房し、外に出ると五℃というのは普通です。温度差は二〇℃。それでも「暖房をしすぎると体に良くない」という人はいませんし、「暖房病」というのも聞いたことがありません。 「外と内」は「夏と冬」でちょうど反対になっているだけなのに、なぜこのようなことが起こるのでしょうか。人間の長い歴史が冬は暖を求め、夏は暑くてもじっとして我慢をするようにしてきた、そのために私たちのDNAにそう書いてあるからと考えられます。 暖房はなぜか心地よいものです。特に、暖炉の前に体をおき、手を火にかざすとこころまでもがあたたまります。 「火」というものは人間が誕生してまもなく生活のなかに入り込み、それ以来、何万年も人類の生存に欠かせないものになっていたからでしょう。 DNAのなかには夏のクーラーは書き込まれていませんが、暖炉の火は記録されているからです。 それから見ると、宇宙で血は頭に上がるのは当然でしょう。 DNAは突然、宇宙飛行士になって宇宙に行っても、情報を書き直さないからです。 また、コンクリートで固められた人工的空間からの語りかけもDNAには居心地が悪いのも理解できます。 DNAは化学物質でできていますので、すぐに書き換えることができず、結果的に伝統を守ることになりますが、脳は電気で記憶をしますので、生まれてからの情報、つまり「後天的な情報」をつぎつぎと書き込むことができます。それだけ脳の方が優秀といえば優秀なのですが、その反面、すぐ情報を書き換える性質があります。脳の方が「早とちり」や「おっちょこちょい」な記憶も書き込まれるのが注意点でしょう。 そして、脳は「良い」と思ったらすぐ情報を書き換えますが、DNAがそれを拒否します。わたしたちの頭は脳が変われば変わりますが、体はDNAに支配されているので、環境から遠い昔とは違うメッセージが届くと、それを不快に思い、何となく不満に思い、不安に感じる原因の一つになっていると思われます。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231104  110