しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

「借りること」と「使い捨て」

「借りること」と「使い捨て」 愛用品の次は、「借りること」と「使い捨て」です。つまり、愛用品の時代には、ものは「愛用品」と「借りるもの」と「使い捨てするもの」の三つに分かれると言われています。 人生は様々な時代を過ごします。小学校の時には夢中で飛び回っていますし、体も大きくなってきます。中学校はこころの成長の時代、高等学校は受験、青春時代は苦く過ぎます。独身時代新婚時代、子供が小さい頃、そして単身赴任、子供の結婚、老後と人生は一様ではありません。そのなかで、変わらず使うものは愛用品ですが、生活の変化に伴って変わっていくものもあります。その典型的なものが、住宅と車でしょう。一生、一軒の家に住む、落ち着いた生活も良いでしょうが、独身の頃には華やかな都心のアパートに住み、新婚時代は狭いながらも楽しいマンション、そして、庭のある 一軒家に住んで、老後はまた夫婦二人でマンションに、という生活も良いものです。 このように人生の流れとともに変わる必要性に合わせて、住宅を選ぶ、そしてそこに家具も備えつけられているという町を作ろうという計画が建築の人を中心に盛んに進められています。若い頃、苦労して小さくて遠い持ち家を買い、ローンに苦しみ、そこで 一生を暮らせるならよいのですが、手狭だったり家族構成が変わったり、また病院が遠かったりして、結局、あれほど苦労した家もやがて手放さなければならなくなります。 「家は持たない」ということが良いと考える建築家や都市計画の人も多いのはこのようなことからです。若いとき、成熟したとき、そして老年と自分の一生が変わることを認め、「家を所有する」ことに人生を求めるのではなく、「人生の時代に合わせて家を使う」ことに主眼をおくのです。それは「ものを所有する」という呪縛からときはなたれ、ものが主人の時代から、人生自体が主人になる時代への転換でもあります。 建築家は町の全体をそのような思想で作り上げなければなりませんし、そこに住む人も「家を使い、人生を所有する」という考えで過ごさなければなりません。 これと同様に、車も「愛用品として所有する自分の車」と「車を使って人生を所有する」というものに分かれるでしょう。そして、かつてのように「新車は一年で手放した方が有利ですよ」などというささやきが遠くに聞こえるようになると思います。愛用品として所有する自分の車は、最低一〇年は使うでしょうから、それなりに愛用品の五原則を満足していなければならないでしょうし、「車を使って人生を所有する」という人にとっては、これも車は安く借りれることが第一ですので、平均して一〇年以上は使った車が使用されるでしょう。 現在のシステムはそうなってはいません。車を所有するようでもあり、車を使い捨てするようでもあります。「愛車」とはいいますが、その車をいとも簡単にかえていたのでは「愛車」とは言えないでしょう。 愛用品時代の三番目の指針は、使い捨てすることです。 人間はもののために生きているのではなく、生きるためにものを使うのですから、愛用品にもならず、リースもできないようなものは、できるだけ効率的に使い捨てすることです。「効率的に」というのが大切な、生活の部分です。 つまり、そこではものを使うのにできるだけ効率が求められ、可能な限り蹂境にやさしく、安いものが良いからです。その点で、ペットボトルとビールの容器であるアルミ缶、そして紙パックは優れたものです。 ペットボトルは、最も少ない石油資源で優れた容器ができるという点で、素晴らしく環境に良い商品です。倹約して使うことは大切ですが、衛生的で、毒性も少なく、焼却もしやすく、半分飲みかけでも取っておけるなど本当に理想的な容器です。ペットボトルができたおかげでそれまで半分だけ飲んでもそのまま捨てなければならなかった金属缶も少なくなり、油やお醤油も大変、環境に良い容器に代わりました。ペットボトルを作った人に「環境大質」をあげたいくらいです。 それでも、ペットボトルをリサイクルすると、途端に環境には最悪の商品になります。石油は三倍以上使うし、品質は悪くなるし、人手も使います。リサイクルはペットボトルの良さを消してしまうのです。ペットボトルのリサイクルを始めた人は反省してもらわなければなりません。同じように、アルミ缶もビールの容器としては最適です。軽く、熱伝導率が高いので冷えやすく、そして衛生的です。こんなに素晴らしい商品を考案して改良してきたアルミ缶メーカーの技術者に「環境大賞」をあげたいくらいです。アルミ缶ができたおかげで重たいビールビンを担いで腰痛に苦しむ人も少なくなりましたし、「ビールは飲みたいけれど、あのビールビン一本分は飲めない」という人も小さなサイズのアルミ缶のおかげで、人生を楽しむことができるようになりました。 ところが、アルミ缶のリサイクルは最悪です。特に、アルミ缶リサイクルの関係者が「ボーキサイトからアルミを作るには電気が大量に必要だ。それに対して、アルミ缶からアルミを作るときには電気がわずか三〇分の一しかいらない。アルミ缶は貴重なアルミ資源だ」と言っているのはすぐやめてもらわなければなりません。 人間は、間違うこともありますが、「自分で良いと言って他人に勧めておいて、自分は別のことをする」というような品性の悪いことをしてはいけません。アルミの関係者は「ボーキサイトの方がエネルギーがかかる」と言っておきながら、ボーキサイトを買いにお金をもって海外まで出かけていきます。 その同じ人が「アルミ缶の方がエネルギーが要らない」と言っておきながら、相変わらずアルミ缶を取りに来ません。「ボランティアが集めたら使ってやっても良い」という態度です。これは、どうしたものでしょうか? 著者はこのアルミ関係者の態度にかなり怒りを覚えています。おそらく、リサイクル関係の矛盾のなかでも酷い方です。もし、本当にアルミを作るのに、ボーキサイトよりリサイクルアルミ缶の方が良いのなら、これまでボランティアでアルミ缶を集めた多くの人たちに、是非、「原料代」を支払ってほしいものです。日本人、それも善意のボランティアをただで働かせ、海外の鉱山会社にお金を払う、それも「リサイクルアルミ缶より、エネルギーが三〇倍もかかる価値のないボーキサイト」と言っている当人なのです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 202311201 198