しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

オオカミの生き方は「競争」と「共存」の調和の見本

オオカミの生き方は「競争」と「共存」の調和の見本 日本人は持続性の限界を意識することなく、日本列島に繁殖しました。それは石油や鉄鉱石を海外から輸入するという業を持っていたこと、文明の利器を使って自然の生産塁を超えて生活ができるようになったけれども、その知恵に応じた自制心に欠けていたからでしょう。 オオカミの生き方は「競争」と「共存」の調和の見本のようなものです。敵との遭遇では命を賭けて戦う、オス同士の戦いにはルールを適用する、不慮の事故には親代わりをする、そして、縄張りのなかの環境を守り持続性社会を作るために狩りを自制する、すべてが一つのハーモニーとなってこの威厳ある動物の生活を形作っているのです。 オオカミを誉めすぎるような気もしますが、話のついでにもう一つ。 中央アジアには昔から遊牧民が多く、彼らが飼育する羊の群れの周りにオオカミが徘徊し、時には羊を襲います。それでも、遊牧民はオオカミを恐れもしなければ追っ払うこともないのです。実は、オオカミは羊の群れをよく観察し、その中で病気の羊を見つけてはその羊を襲うからです。羊が病気であるかどうか羊飼いは見分けることができませんが、オオカミが、羊の群れから病気の羊を除いてくれるので、伝染病などが蔓延せず、羊飼いの利害と一致するのです。そして、この場合も、オオカミは健康な羊をも襲う力を持っていても、むやみに羊を襲わず、食料を食べ尽くして羊飼いとの争いにならないようにしているのです。 もし、オオカミが人間と同じように「食料はとれるだけとって、子孫を増やそう」と思えば健康な羊も獲るはずで、狩猟の能力から言えばオオカミはそれができるのです。動物の繁殖は食料によって決まるので、羊をむやみにとって満腹になるまで食べれば、一五頭のオオカミは六〇頭になるでしょう。そうすると、羊は減り、それを守ろうとする羊飼いと戦闘を開始しなければなりません。そして、もしオオカミが羊飼いとの戦闘に勝ったとしても、羊は「家畜」だから人間がいなければ巧く生きることができません。結局は羊は死に絶え、オオカミも死ぬ。 オオカミは決して羊飼いが怒るほどには羊を獲らない、羊こそが自分たちの生命線であり、羊は家畜であり、人間がいなければ生きていけない動物であることを「知っている」ようです。持続性社会を作るために自制し、調和を壊すことをしないのです。 オオカミは自然を収奪せず、持続性社会を構築しますが、オオカミより知恵に優れていると考えられる人間は現在、自然を収奪し、持続性社会を作れず、自ら破壊の道を進んでいるのです。その点では、人間は生物界の頂点に座る資格はないように見えます。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 2023112112  221