しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

「日本には資源がない」と嘆く必要はない

「日本には資源がない」と嘆く必要はない 大手メディアでは、日本は「資源のない国」と言われています。日本では石油も採れないし、鉄鉱石も出ないから資源がない、というのです。エセ環境破壊論とは離れますが、これもまた科学的ではない、まったく正しくない言い方です。 昔は石炭の山を持っていれば、資源がある、ということでした。石炭の山があれば、あとはツルハシと人夫を用意すればよかったのです。ツルハシはどこの国にもあり、 人夫はどこの国にもいます。石炭の山があるかないか、が問題でした。 しかし、今はそうではありません。旧来の石炭の露天掘りですら、その国際競争力は石炭の掘削技術に左右されるのです。ましてや石油のように地下深く掘って獲得するもの、または、シェールガスのように地下3000メートルの世界を相手にする資源ならなおさらです。 つまり、ある国の地下に油田があったとしても、その国に大深度の掘削技術がなければどうにもならないのです。シェールガスについても、いわゆる途上国にはいくらでもあるのですが、それを掘り出す技術がそれらの国にはありません。 実は、資源自体は世界にだぶついているのです。 ですから現在では、「資源国」とは資源を持っている国ではなく、資源を掘削する技術を持っている国のことを指します。そして、世界に通用する、つまり資源をビジネス材として通用させる技術を持っている国は現状、アメリカとドイツ、そして日本のみと言っていいでしょう。 オーストラリアは資源を農富に持っている国であり資源国と呼ばれますが、資源を掘削する技術を持っていません。もしもオーストラリアがツルハシと人夫を使って石炭を掘るとすれば、その石炭の価格は世界相場の倍ほどになりますから競争力を持たずビジネスになりません。 つまり、そこに日本の高度で、安価な技術がなければオーストラリアから石炭は出てきません。鉄鉱石でも石油でもシェールガスでも同じことです。 日本は資源国ではないというのは、科学的な発想を持たないからでしょう。こう言っては叱られるかもしれませんが、文系のアタマで考えたまったくの的はずれな見解です。今でもまだ人夫がツルハシを使って掘っていると思っているのか、と笑われても仕方がありません。 日本には、高度な技術があります。それは、油田に匹敵する資源です。それを資源とみなし、国際社会に存在感を示すためには、こうしたアタマの使い方の転換が必要なのだろうと思います。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R051223 30