しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

世界で最大の木造建築 東大寺の大仏殿

世界で最大の木造建築 東大寺の大仏殿 長登鋼山の銅鉱床は、銅鉱石の含有率が5パーセントから8パーセントでした 。掘り起こした鉱床から銅を精錬して、船で近畿地方まで運びます。そこで再び銅を溶かして、鋳型に 流して大仏の部分的なところをつくります。 もちろん組み上がった時の強度などを計算して、厚みなどを決めなければなりません。大仏の下のほうは銅を厚くし、上に行くほど銅を薄くします。 さらに内部の空洞をどのくらいにすれば安定するのか、強度が保持できるのかなどを正確に計算し、仏像が自立できるようにしました。工学の理論もなく、計算機もない時代に よくやったものです。 さらに、銅ばかりでは表面が光り輝かないので、大仏全体に金箔を塗りました。貼るのではなく、塗ったのです。 金はとても柔らかい金属なので、叩けば叩くほど薄く伸ばすことができます。現代では金箔職人が金を叩いて延ばす技術が進み、1立方センチメートルの金から10平方メートルの金箔をつくることができます。その厚さは、実に0.0001ミリメートルです。 しかし、奈良時代にはまだ金箔技術が発達していませんでした。金を水銀に溶かして「アマルガム」をつくります。すると金が液体の水銀に溶けた状態となり、刷毛で大仏に塗ることができました。 アマル ガムを塗った後 、松明(たいまつ)を燃やして加熱し、水銀を蒸発させました。 大仏表面から水銀が除かれて金だけとなるので、金箔を貼ったのと同じような形となります。 水銀は人体にとって有害です。この作業に 従事した人々が水銀中毒になったという記録もあります。 銅鉱石の採掘、鋳造から大仏建立、金箔を施すまでの過程には想像を絶する技術の粋が集められていたとともに、苦心惨憎がありました。 大仏鋳造にともなう最先端の技術がなぜ8世紀の日本にあったのか、それは世界史的に見ても大きな進歩と言えるものでした。 日本では、銅の多くは火山が噴火する時にマグマとともに 地上に出てきます。その銅の鉱脈は地表近くで横に流れ、銅の鉱山をつくります。山口県には石見(いわみ)銀山もあり、四国には水銀の鉱脈もあります。 また、水銀は金や銅と同じ「銅族元素」と呼ばれるもので、一緒に出てくる傾向があります。奈良の大仏の建立は、そうした自然環境の中、当時の日本人が技術の粋を駆使して成し遂げた科学技術史上の奇跡と言っても過言ではありません。 奈良の大仏地震や天災の多い日本列島を鎮める目的で聖武天皇が建造されましたが、偶然ではありません。 日本列島の地学的な意味合いと自然環境、日本人の科学への関心と勤勉さなどが総合的にかかわり合ってこそ、奈良の大仏は生まれたのです。 *

奈良の大仏に関連して、日本人の素晴らしさを示すものとして「大仏殿 」の話もしておきましょう。 東大寺の大仏殿は世界で最大の木造建築です。自然の木材を利用するという点でも、大仏殿は世界に誇れる文化の一つと言えます。 現代でも宮大工がその建築技術を受け継いでいます。法隆寺の建築物なども同様ですが、木組みが実に精密です。 一本の木を切り出してきて手斧で切り、鉤(かんな)で表面を削り、形を整えます。木の特性を見極め、一本一本の丸太が切り出した後に乾燥して膨張・収縮を繰り返すことも計算に入れ、釘をほとんど使わずに、びたりびたりと組み立てていきます。 現代のような、数字で計算されつくした建築技術ではありません。均一化された材木を組み立てるわけでもなく、そのほとんどが経験と勘の積み重ねの宮大工の力でつくり上げられます。そうした技術が結集して、大仏殿のような、巨大で、しかも頑丈な木造建築物が成立しています。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060212 168