しあわせみんな 三号店

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「SDGs」は白人社会の覇権のための武器である

「SDGs」は白人社会の覇権のための武器である 今 、盛んに「SDGs」が叫ばれています。SDGsは 「Sustainable Development Goals」の頭文字を取ったもので、和訳すると「持続可能な開発目標」ということになります。 これは2010 年の国連サミットで採択されたというのですが、そもそも国連サミットとは国連の主催した国際会議のことであって、国連そのものがSDGsを掲げているのかというと、これは微妙に違います。 現実的にみれば、白人が有色人種を押さえつけるために実行している政策です。そう言わなければダメなのです。 日本の高度成長の後半、それまで少し先を行っていたヨーロッパは、アジアの急激な発展におびえていました―――。 今から500年ほど前、ヨーロッパは急激に軍事力を高めて、軍事力によって有色人種の国を植民地にしていきました。 日本もその標的とされて、侵略の先兵としてキリスト教の布教と称してボルトガルやスペインがやって来たのですが、日本はこの当時の有色人種のなかでも唯一と言っていい、ヨーロッパと対等か、それ以上の力を持っていたので侵略されずに済みました。 それから大東亜戦争が勃発するまでの約450年の間、ヨーロッパやアメリカは自らの力で豊かな生活をしてきたわけではなく、植民地の人たちが働いた製品や資源をタダ同然で強奪して暮らしていたのです。 欧米諸国では、経済だけでなく、哲学や文学、音楽、絵画などが発展しましたから「欧米の文化は素晴らしい」と考える人もいるでしょうが、それが「有色人種を働かせることで、自分たちは遊んでいられる」という状態からの成果だったことには間違いありません。 20世紀後半になって日本が発展し、それに続いて韓国や台湾という旧日本領、そして中国、インド、マレーシア、プラジルなどが発展したことに 伴い、ヨーロッパは競争力を失っていきました。 だからといってかつてのように軍事力で他国を圧倒することもできず、そこで新たな武器として考え出されたのが「国際規格」「環境問題」といったものでした。 ISO(国際標準化機構)の国際規格、スポーツのルール、電子機器の国際基準、リサイクル、生物資源の保全、温暖化、そして持続性社会の構築などは、いずれも「規格」や「環境」という仮面をかぶっていますが、本当の狙いは欧米社会の優位性を保とうという策謀の一環です。 それらを守らせることで、欧米以外の国々の自由な経済活動をコントロールしようとしてきたのです。 日本ではほとんど紹介されていないのですが、ヨーロッパにはその手の暴露本もたくさんあり、そこでは日本のマスコミからの情報しか見ていない人には意外なことが多く取り上げられています。 日本でダイオキシン騒動が頂点に達していたころ、私はヨーロッパの学会のパーティで多くの人にダイオキシンの毒性のことを質問したことがありました。そうすると彼らはいずれも、「あれは政治的なものだから」と話には乗ってきませんでした。 彼らは「環境問題の真相」を知っているのです。 なかでも「持続性」と「温暖化」の二つはかなり大規模で、発表される論理やデータには多くの策略が見られます。

まず、「持続性」です。 石油が枯渇する、気温が上がるということを論拠にして「私たちの文明社会は持続性を持たない」と言うのですが、これには二つの間違いがあります。 ひとつは、石油や鉄鉱石などの主要資源の埋蔵量はまだまだ膨大で、枯渇の心配はないということ。 現状の使用量でいって石油が枯渇するまでには4000年、鉄鉱石なら7000年ぐらいという推定がおそらくは正しいと思います。 もうひとつは、「持続社会」と言いますが、人類の歴史は「持続」ではなく「変化」によってつくられてきたということ。 野生動物の狩猟から田畑の農耕などと進歩し、さらに工業化とともに生産量を飛躍的に拡大させてきました。 歴史の転換点では「もうすぐ世界は終わりが来る」と言われることが多いのですが、それは変化を恐れる守旧派が単なる脅しで言っているにすぎません。 困難があってもそれを克服する技術や社会制度が誕生して人間社会は変化しながら続いてきました。もし古代の人たちが「狩猟生活を持続させよう」とやっきになっていたなら今の人類の発展はなかったでしょう。 つまり「今と同じ生活が続く」ということのほうが、人類の体験していないことなのです。 『「新型コロナ」「EV脱炭素」「SDGs」の大ウソ』武田邦彦著 ビジネス社刊 20240414  P153