古事記の時代から続く伝統的な「日本の捕鯨」 日本の食卓から鯨が消えて久しい。一定の年代以上の人であれば、学校給食で食べていた竜田揚げや大和煮を懐かしく思い出す人も多いだろう。地域によっては、現在でも給食で鯨料理が出されているところもあるが、概して、日本人にとっての鯨食はあまり馴染みのないものになってしまった。 1982年、IWC(国際捕鯨委員会)がモラトリアム(一時停止)を採択したことで南氷洋での裔業捕鯨ができなくなって以後、調査捕鯨を行うのみになった。こうして戦後の食糧難の時代には日本人のタンパク源の60%を占めていたこともある鯨が、入手し難い高級品になってしまったのだ。
「鯨一頭捕れば七浦潤う」という言葉がある。日本人は約五千年前、縄文時代から鯨を食し、骨や歯、ヒゲ板に至るまでさまざまな用途に活用してきた。『古事記』の中でも神武 天皇が「皆で鯨を分け合いましょう」と歌っている(久米歌)。 赤身はもちろん、皮、舌、内臓、尾肉など全身のほとんどを食することができる鯨。ちなみに私の好物は、上顎と下顎の骨の間にある脂身、『伝胴』だ。口に入れると甘く、とろける。脂というと不健康なイメージを持つ人も少なくないと思うが、水温の低い海域でも活動する鯨の脂は、寒くても固まらない。冷えるとすぐ固まる牛や豚の脂と違い、鯨の脂は菜種油や大豆油といった植物由来と同じ不飽和脂肪酸なのだ。美味しい上に健康にもよく、日本の食文化を象徴する食材のひとつと言えるかもしれない。 「鯨」という漠字は魚偏に「京」と書く。京は兆の万倍、つまり「大きい」ことを表す。これだけさまざまな用途があるうえに大きい。だからこそ、一頭によってもたらされる恵みも大きい。そんな鯨たちに日本人は感謝の気持ちを忘れなかった。日本の各地に鯨塚や供養碑、鯨の墓が残されている。 『Renaisance Vol.13』ダイレクト出版 「消えゆく日本の伝統食」野生肉の復活を 葛城奈海氏より R050530