●本当はごみを分けても資源にはならない 家電を捨てる際にお金を取られる、ごみの分別は毎日のように面倒だ。それでいて資源は新しい資源として回収できないし、ごみは増えている。こんなずさんなリサイクルに我々がコロッと騨されたのはどうしてだろうか。 まず「ごみを分ければ資源」というコピー。このコピーはわかりやすいため、世間に浸透した。一説では大阪の大学教授の発明という。「ごみは分けなければごみ、分ければ資源」と言われると何となくそう思ってしまう。 戦前、戦時中の日本に「鬼畜米英」というコピーがあった。 アメリカ人とイギリス人は鬼か畜生だというのだからすごいコピーである。 しかし、そう言われて信じ込んでしまうとその時点で思考が停止する。米英は鬼か畜生だからやっつけなければならないという国民的合意の土壌を形成しながら太平洋戦争は始まった。 そして、日本人の犠牲者は300万人に上った。 「分ければ資源」と言われると本当にそう思えてくる。しかし、図表1-7を見れば真実がわかる。 日本のごみの90%に当たる産業廃棄物の内訳は、汚い土(汚泥)が半分、動物の糞尿が3分の1、そしてがれき、鉱山の廃物(鉱滓)、煙突からのばいじんが4分の1を占める。 誰がこのごみを使えるのか。汚泥、糞尿、ばいじんを有効な資源として使えるという剛の者はいるのか。 そんな者はどこにもいない。 本当は「ごみは分けても資源ではない」というのが正しい。 「鬼畜米英」などではなく「アメリカ人もイギリス人も会ってみれば人間」ということと同様である。いつも事実をよく見ていなければならない。しかし、人間の頭は幻想をつくりやすい。そしてその性質を利用して儲けようとしている人たちがいる。 このコピーをつくったのは専門家だ。日本人はお国や専門家に弱い。それは良い性質なのだが、それにつけ込むのは良くない。 日本にはかつて武士と職人という専門家がいた。いずれも武士の魂、職人の魂があり、お金では動かず、自らの名誉を大切にしようとした。その伝統があるから日本人はお国(武士)や専門家(職人)の言うことをそのまま信じる傾向がある。それはお互いに信頼関係があったからである。 しかし、リサイクルや次の章に書くダイオキシンあるいは地球温暖化の問題にまつわるウソによってその信頼もなくなりつつある。このままいけば日本は国民との間の信頼関係という大事な財産を環境問題を糸口として失うことになるだろう。 廃棄物処理制度専門委員会報告書 (env.go.jp) 上記図が見にくく、該当するホームページを当たってみましたが、直接該当する項目がないため、上記のサイトを参照してください。(ブログ作者注) 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230718