しあわせみんな 三号店

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「すねかじりの論理」

「すねかじりの論理」 まれには、太陽電池をコストや補助金をもらおうというのではなく、純粋な環境問題としてとらえている人もいます。 その一つの理由は、石油が無くなったとき太陽電池で電気を作らなければならないと考えているからです。しかし、それは単なる「希望」であって、「現実」にはなりえません。なぜなら、「太陽電池のシステムを作るために必要なエネルギーは、太陽電池から得られる電気より多い」からです。 つまり、屋根に据えた太陽電池は、据えつけてから廃棄されるまで「太陽電池の寿命が尽きるうちに」、その太陽電池を作るためのエネルギーを作りだせないのです。 その結果、「もし日本に石油が輸入できなくなったら」ということを考えると、最初に発電ができなくなるのは、石油を使う石油火力発電ではなく、石油を使わない太陽電池という皮肉な結果になるのです。 少し、言い方が悪いのですが、これは「すねかじりの論理」と言えるものです。 親のすねをかじっている息子は何でも親が買ってくれると信じています。例えば、車を買ってもらうときでも、息子の関心は車の性能やスタイル、そしてガソリンの燃喪です。車そのものは親が買ってくれるので、むしろ購入代金は高い方が良いくらいです。 ところが、その息子も自分が親になり、家計を心配しながら車を買うときは別です。ガソリン代も問題ですが、購入代金、寿命、税金、保険などを全部考えて車を買います。もし、セールスマンが「ガソリン代だけ考えればよいでしょう」と言ったとしたら、むしろあきれるか怒るのではないかと思います。 環境問題を複雑にしているものにこの「すねかじりの論理」がはばをきかせます。それは「目に見えるものだけを注目する」ということでもあり、また「全体を考えずに、自分に関係することだけを重視する」ということでもあります。 すでに何回か指摘しましたが、環境とは「全体」であり、決して「個別」や「部分」ではありません。そして「わたしには全体は判らないので、部分的にでも貢献できれば」という善意がかえって環境を悪化させることが多い、その一つの例なのです。 また、「将来、太陽電池の効率が上がって、石油火力よりよくなるかもしれない」、「大量生産しなければコストが下がらない。下がらなければ実用化しない」などの説明を信じている人もおられると思います。 すでに太陽電池の研究はかなり進んでおり、大きな会社が取り組んでいることもあって、将来見通しや大量生産して採算に合うかについては、太陽電池のメーカーの重役はよく判っています。それに、本当に太陽電池に見込みがあれば、何も税金で応援しなくても日本の電力会社が太陽電池発電所をつくりだすでしょう。日本の電力会社は電気の安定供給に全力をあげています。経営も良心的です。もし、太陽電池が「無料、無限、無公害」で国民のためになるなら、電力会社は何も好きこのんで、外国から石油を買って電気をおこすことはしません。ただちに、太陽電池に切り替えるはずだからです。 太陽の光はタダですが、「タダより高いものはない」ということでしょうか。 ずいぶん長い間、太陽電池の研究や実用化には税金が投入されてきました。もう、このへんで 太陽電池を開発する方も税金に頼るのをやめて、本当に日本のために役立つ太陽電池を自分の力.で開発をしてほしいと思います。もともと「環境」と「税金」はなじまないのです。そして、そのように決意をすれば、「太陽電池が良い」と主張しなくても、自ずから太陽電池が使われるようになるでしょう。 良いことを行ってる人でも、「わたしは良いことをやっています」と言った途端、その人の善行はすっかり色があせるのと同じように、「環境」とは、人にたいして「わたしは現境に貢献しています」と宣伝するものでもなく、また、「わたしだけが税金をもらって環境を守っています」というものでもありません。すっきりいきたいものです。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231024   73