しあわせみんな 三号店

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「洗剤か、せっけんか」がようやく決着した

「洗剤か、せっけんか」がようやく決着した 「太陽電池」や「省エネ製品」に比べれば、洗剤の問題はずいぶん長い経験を積んできました。 洗剤の環境汚染が叫ばれてからこれまで、多くの事件があり、紆余曲折がありました。この辺で、この問題を基本から考えてみて、論争に終止符を打つべきときでしょう。そのデータも十分に出 てきました。 この節では環境問題としての洗剤の問題にケリをつけるとともに、このような論争を続けるより、もっと、わたしたちの将来を明るくする方向を探ってみたいと思います。 最近の新聞記事で、洗剤とせっけんの問題点を整理しているのは朝日新聞の二〇〇〇一年一月八日の記事です。この記事とそれに続く一連の報道は環境や材料を専門としている人をうならせるほど的確でした。次に記事の抜粋を示します。 「埼玉県は一九九九年五月、県全体でせっけん利用を推進していく方向を打ち出した。利用率の低下に悩む「せっけん推進派」にとっては、久しぶりに元気の出るニュースだった。 ところが結末は意外な方向に。 本当にせっけんが環境に良いのかどうか二〇〇〇年四月から検討していた専門家の委員会は、同年十月、結論を出せないまま解散した。推進の旗は事実上降ろされた。」 記事は続きます。 「岡山県は九一年に作った児島湖環境保全条例で、水質に悪影響の少ない洗剤を知事が定めることにし、事実上せっけん推進をはかるつもりだった。専門家らの委員会が九四年度までかけて、分解しやすさ、生物への影響、人体への影響について合成洗剤とせっけんを比較した。 すると、期待とは異なり、『明確な差は認められなかった』という結果になった。」 と報道されました。それから数度の議論を経て、二月五日の同新聞では、生活評論家の若村育子さんが、「一回の洗濯に使う量で考えてみよう。」と話をはじめて、「有機汚濁につながる界面活性剤はせっけんの方が四倍多い。」としています。そして、「下水道施設の状況などを含め、環境問題は多面的かつバランスを持って考えないといけない。私もずいぶん悩んだが、今は合成洗剤でいいと思っている。」 と述べています。これに対して合成洗剤追放運動全国連絡会は、 「合成洗剤追放運動は、労働組合と市民団体が一緒になって運動してきた数少ないテーマだ。」と反論。(同一月二二日付)続いて、滋賀県環境生協の理事長である藤井絢子さんが、 「環境の再生や持続可能な発展のために、化学物質を減らそうという意識は高まっている。そのため、次々と新しい化学物質を使う合成洗剤より、安全性が実証済みのせっけんを使おうとしているのだ。」 と洗剤反対の立場からまとめています。 この一連の記事は専門家として洗剤の問題をとらえた結果と一致しています。また、マスコミ、洗剤反対派、洗剤賛成派、そして自治体、自治体の委員会のいずれもが「同じ結論」に達していると言えます。 その「同じ結論」を次のようにまとめてみました。



「せっけんより合成洗剤の方が、界面活性剤としては数分の一で済む。つまり、同じ汚れを落とそうと思ったら、合成洗剤の方が量が少なくて済む。だから、現在の科学的知識で考えれば合成洗剤の方が環境には優れている。また、合成洗剤はせっけんと比べて毒性が高いとも言えないし、環境を汚すこともない。ただ、新しいものはこれまで人間が知らないような毒性がある可能性がある。だから、その使用は慎重でなければならない」 これは、全く合理的な結論で、別に論争を必要としません。だから、この際、著者は合成洗剤に関係する人たちに呼びかけたいと思います。できれば、一堂に会し、洗剤に関心があったり、これまで運動に参加された人をお招きし、長い反目のあと、このような同じ結果が得られたことを喜び、日本の環境のために今後は一緒に検討を進めたいという宣言文を作成できたら、本当に喜ばしいと思います。とにかく、合成洗剤反対の人も、賛成の人も同じ考えなのですし、日本の環境について深く考えておられることも同じです。 ところで、これではあまりにも結論がすっきりしすぎるので、多少つけたします。 洗剤の歴史を振り返ってみますと、初期の洗剤に欠点があったことは事実です。それを改善し、現在のように優れた合成洗剤を生み出すきっかけを作ったのは紛れもなく「合成洗剤反対運動」でした。 だから、反対運動はその意味で間違っていなかったのです。しかし、安全で環境にも悪くない合成洗剤が出現したら、過去のことを引きずって反対を続けている意味はありません。現代文明にはある程度の毒物を使うことはやむを得ないので、水銀を使った電池のように、それをどのように管理するかに検討を移した方がよいでしょう。 また、反対に、合成洗剤推進派も、昔は環境に対しての配慮が不十分であったことを認めることが必要でしょう。日本の環境は一部の人のものでもありませんし、行きがかりで決められるような課題でもありません。非は非、是は是で判断するのが適切です。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231029     91