しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

「すべての化学物質は有害である。ヒトに有害であるか、無害・有益であるかは、その量による」

「すべての化学物質は有害である。ヒトに有害であるか、無害・有益であるかは、その量による」 このように洗剤の問題はすでに科学的にも社会運動としても、解決をしていますので、合成洗剤を使うか、せっけんを使うかは環境の問題ではなく、個人の好き嫌いや肌に合うか合わないかで選べるものとなりました。それでも、一つだけ注意をしなければならないことがあります。 それは最後に登場している生協の人の言葉です。 人間がすることには限界があります。毒性がない、環境に問題がないという結果が出ても、それが「真実」であるかは不明です。現境のこと以外でも、これまで学問は多くの間違いをしています。だから、学問的に「合成洗剤が無害で環境に良い」という結論がでてもそのまま信じることはできません。 同時に、「せっけんが無害で渫境に良い」という結論もそのまま信じられません。なぜなら、化学的物質の「質」と「量」は人間に対して同じような効果をもたらすからです。 せっけんと合成洗剤は化学構造が違います。その意味では「質」が違うので、片方が無毒で、片方が有毒ということがあります。 せっけんの場合は、昔も今も「質」は同じですが、「量」が桁違いに違います。「許容量」という用語があるように、どんなに毒性が高いものでも、ある限界以下なら生活には支障がありません。また、毒性が低いものでも、莫大な量になると、障害がでます。一時、食品や食品添加物を体重の何倍も与えると障害がでると騒がれたことがありますが、ほとんど無意味な話です。「安全」というのは「品がこれ以下なら」という限定条件が常についているからです。 もし、合成洗剤の使用を中止したら、せっけんの使用量は膨大になります。その量から計算すると環境の汚染はひどいでしょう。せっけんは水に溶けにくいので大量に使用すると、川や湖に沈殿して汚いものになる恐れがありますし、現実にもそのような例が見られるようになってきました。 多くのものが「少量では無毒、大量では有毒」なのです。すでに一六世紀の医者、パラケルススは、 「すべての化学物質は有害である。ヒトに有害であるか、無害・有益であるかは、その量による」 と言っています。もちろん、せっけんは化学物質です。 洗剤の問題を真剣に考えるなら、せめて一六世紀のレベルには達したいものです。 前向きに考えると、現在の日本の界面活性剤の使用量から、合成洗剤もせっけんも万全ではないが、みんなで使用量を減らし、環境への影響を監視しながら使っていこう。せっけんか合成洗剤のどちらかに問題が生じても、判断はみんなでしたのだから、それを非難しないようにしよう、常にデータを公表していこう、というのが前向きではないでしょうか。 人間の知恵には限界があります。それと同時に、わたしたちは生活のために、せっけんか洗剤を使っていかなければなりません。 唯一の解決策は「使わないこと」か、「少量にすること」ですが、生活のなかには汚れを落とさなければならないこともあります。また、体力が十分な人はごしごしと洗うこともできますが、病気の人はよく落ちる洗剤があると助かります。 合成洗剤が環境に悪いのか? というときに、人は「環境」というものを感覚的にとらえていることが多いようです。 最初はそれでもよいのですが、ある段階まで検討が進んだときには、より精密に考えなければなりません。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231030   92