しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

満たされればダメになる

満たされればダメになる 現代ほど科学技術が進歩していないときにも、人間は何らかの制限の中で生きていかなければならないということに気づいた人は多いのです。宗教家の多くはそうでしたし、日本では良寛などに代表されるように自らを制限の下におこうとした人もいます。 近代教育の父とも言われるルソーは、その著書『エミール』の冒頭で本の趣旨について次のように書いています。 「よい教育がたいせつであることについて、あまり多くは語るまい。現在行なわれている教育が悪いということを、ながながと証明することもするまい。そんなことは、たくさんの人たちが、わたしよりも前にしてしまっているし、わたしは、いまさら、みんなの知っている事柄で、一冊の本をいっぱいにしたいとは思わない。」(中央公論社世界の名著36から) ルソーは一七一二年六月二八日、スイスのジュネーブに生まれました。もともとルソーの両親はフランス人でしたが、宗教革命を避けてスイスに亡命した新教徒の一家族でもあったのです。 フランス革命が起こる前の二〇〇年ほどの間、フランスを中心としたヨーロッパはマルチン・ルターの起こした宗教革命とその後に続いた新教徒とカソリックの争いに明け暮れていました。日本に生活していると同じキリスト教徒同士が、どうして血で血を洗う争いをするのか理解できないと思いますが、近親憎悪と利害関係の絡みは人間にとんでもない行為をさせるのです。 ともあれ、ルソーはそんな古い時代に生きた人だということを頭に入れて、彼の書籍を読むとその慧眼(けいがん)に驚かされます。トルストイが言っているように、また多くの歴史家が感じていたように、時代もまた環境の一つを作り出し、その時代に生きる人を束縛します。それは、人間が時代を作ってきたのではなく、時代が人間を作ったのだ、ということもでき、時代と感受性の高い人の間の相互の交換が見られます。 ルソーは波瀾に富む青年時代を送り、四一歳のとき『人間不平等起源論』を世に出しました。 それまで人間には貴賤があり、身分が違ったり不平等であるのは当然であると思われていたのですが、当時は「本当に人間は不平等でよいのか?」が真剣に問われ始めた時期だったのです。 本当に人間は平等か、もし平等としたらそれはどういう原理原則によっているのか? 彼は「自然状態、自然人」というところから出発してこの大きな課題に取り組みました。ルソーは、人間の根元を探求する過程でその興味を「教育」に向けたのです。そして、彼が五〇歳のとき、『エミールーまたは教育について』を出版しました。人間を人間として観察し、子供を子供として本当に真っ正面から見つめ、そして導き出した教育の考え方は、それまでのように子供を不完全な人間として子供の人権を軽視した古い教育観ではなく、子供の人格と自由を尊重し、子供の側にたった教育を主張したのです。ルソーが「子供の発見者」といわれるのは彼のこのような考え方によるのです。 それでも、当時、子供に人格を認め、子供の自由を尊重するなどとんでもないことだったのです。「エミール』が発売されるとすぐ、官憲は発売を禁止、ルソーは高等法院から有罪判決を受け、逃亡するハメとなりました。そして、発売から僅か一四日の六月九日、『エミール』はパリで焚書にあうのです。 その『エミール』には次のように書かれています。 「あなた方は、子供を不幸にするいちばん確実な方法は何であるかご存じだろうか。それは、何でも手に入れるという習慎を子供につけることだ。子供の欲望は、簡単に満たされることによって大きくなってゆく一方であるから、おそかれ早かれ、あなた方は力が及ばなくなって、いやでも、拒絶しなければならないことになる。この前例のない拒否は、子供にとって、望んでいるものが手にはいらないこと自体よりも、もっとつらいこととなる。」 つまり、子供に何でも欲しがるものを与えていると、ついに子供の要求がエスカレートし、どうしようもなくなるが、そのとき子供は「欲しいもの」がもらえないのでそれが手に入らないということより、「もらえない」ということ自体の方が辛くなるということです。 「はじめは、あなたの持っているステッキをほしがる。(中略)その次には飛んでいる鳥をほしがる。輝いている星を見てほしがる。」 とルソーは続けています。 だから、子供は甘やかせてはいけないと言ったじゃないの、という声が聞こえそうです。たしかに毎年のように繰り返される成人の日の騒ぎを見ますと、心が沈みます。多少、荒れた成人式のときには、「あれは、成人のせいではない。子供をそのように育てたのは大人だ」という意見も出ますが、子供といっても成人です。あまりに酷い状態になると、成人になれば自分は自分の行為に責任を持つべきだ、と多くの人が感じるようになります。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231110   130