しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

●リサイクルした方が良いものと悪いもの

●リサイクルした方が良いものと悪いもの 資源は有限だから一度使った資源をもう一度、使うことができればそれに越したことはない。昔から、古着、古新聞、鉄くず、貴金属などは業者が住宅を回って回収し、商売をしていた。リサイクルすべてが非効率なのではなく、資源として役に立つものは経済活動の中で立派に「リサイクル」できる。 ファッション的な意味での古着はビンテージ物として、逆に高い価値を生んだりするし、個人で使わなくなった服はフリーマーケットやネットオークションで売買されたりしている。また、古紙は現在でも規制をなくして昔と同じにすればチリ紙交換という商売が復活するだろう。 しかし、「チリ紙交換」と容器包装リサイクル法などによって守られた「現代風官製リサイクル」は決定的に異なっている。それは「自分で集めて、それで商売すること」と「他人が集め、それで商売すること」との差である。環境ということを考えると「自分で集め、自分で商売にする」ということが第一義である。リサイクルの目的は日本全国で発生するごみを減らし、資源を節約することだから、お役所だけが節約できても仕方がない。 使用済みペットボトルの引き取りに関し、これまで自治体は処理業者に費用を支払ってきたが、最近では、処理業者がペットボトルを有価・有償で引き取るケースも増えてきたという。これは、中国でリサイクル資源としてペットボトルを含む廃プラスチックの需要が高まっているこ とを受け、日本からの輸出が増加している事情が背景にある。 しかし、国際的に環境問題が浮上してから、常に議論されてきたのは「先進国のごみ(廃棄物)を発展途上国に押し付けない」という原則をいかに守るかということだった。 有害物を含む廃棄物を国境を越えて移動させることを規制した「バーゼル条約」もその一つで、国単位で「資源を使う国、ゴミを回収する国」に分けるという考え方は「環境」という概念にそぐわないと考えられたのである。 だから、たとえ有償でもペットボトルを外国に出すのは日本の国際的信用を落とすだけである。さらにこの問題は、「人が集めてくれれば、商売になる」という構造を具現化している。つまり、ペットボトルは膨大な税金を使って集められている。それをいわば低価格で横取りする。さらに国際的な約束に反して外国に出すのだから二重の倫理違反である。 海外からもその誠実さをもって知られてきたはずの日本人、環境という理想— それらが二重に裏切られるのはなぜだろうか。 それこそ著者がこの本で言いたいこととも関連する。国民が望んでいる環境の改善という問題を私物化し、それによって収益を得ようとする日本社会の構造こそが問題であり、これを放置しておいてはいけないということだ。私たちは「環境」問題を根底から見直さなければならないだろう。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230727