しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

外国人に対しても「家族」として接する、庶民の温かさ

外国人に対しても「家族」として接する、庶民の温かさ スイス駐日領事を務めたリンダウは、長崎近郊の農家を訪れた時のことを次のように残しています。 「火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに、その家の男の子か女の子が慌てて火鉢を持ってきてくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰をかけるように勧め、母親は丁寧に挨拶をして、お茶を出してくれる。家族全員が私の周りに集まり、子供っぽい好奇心で私をジロジロ見るのだった。 いくつかのボタンを与えると、子供たちはすっかり喜ぶのだった。『大変ありがとう』とみな揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして脆いて可愛い頭を下げて優しくほほえむのだったが、社会の下層階級の中でそんな態度に出会うのは、まったくの驚きだった。 私が遠ざかって行くと、道のはずれまで送ってくれて、ほとんど見えなくなってもまだ『さようなら、また明日』と私に叫んでいる。あの友情のこもった声が聞こえるのである」(前掲書『逝きし世の面影 』から引用 ) リンダウはじめ西洋人にとっては、この長崎の農家の人たちは「他人」です。 しかし、長崎の人にとっては、たとえ外国人であってもリンダウは自分たちの「家族」でした。客人に対しても、家族同様に接するのが日本人なのです。 エリザ・シドモアは、ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事として活躍したアメリカの地理学者です。 彼女は1885年から1928年にかけて度々日本を訪れ、日本に関する複数の著作を残しました。 「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。 ……漁師のむすめ達が脛(すね)をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。 こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ」(前掲書『逝きし世の面影』から引用) ほのぼのとした風景が目に浮かびます。 当時の日本人は、農村も漁村も、穏やかにみんな明るく生活していたのです。 『かけがえのない国――誇り高き日本文明』 武田邦彦 ((株)MND令和5年発行)より R060116 84