しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

海に異変が起きている

海に異変が起きている 一方、魚の消費もさることながら、生産の源である海と魚にここ数十年で起こっている変化についても考えないわけにはいかない。 「人間も自然界の一部である」とよく言われる通り、私たち人間も他の生物と同様、”食う”という一点で自然界と結ばれている。しかし人間は自由意志を持ってしまったが故に、自分はほかの生物を食うくせに、”食われる”側に 回ることは極端に避けるという、実に目分勝手な生物だ。となると、「どのように自然界のバランスを保ちながら食っていくのか」が生存のカギとなるわけだが、そこはなかなか難しく、いまだに手 探り状態である。 たとえば質源学者や、それをかつぐマスコミの中には、魚が減れば漁師と行政を悪者にして、「捕り過ぎをやめろ」「野放しにするな」と主張・流言し」「魚を守ることこそが使命だ」と言わんばかりの者も見受ける。しかしここ最近の海水産生物の動何をみると、とてもそれだけで解決できるような状態ではないことが次々と明らかとなってきた。 陸地の見えない広大な大海原でマグロ漁場を探索し釣り針を仕掛ける遠洋マグロ船の船頭たちが、「過去40年で積み上げたデータが役に立たなくなってきた」と無線でぽやき始めたのが、今から20年ほど前のこと。 マグロは、高速で回遊しながら適した水温を功みに泳ぎ分け、いかに合理的に餌をとれるかを体得している、世界の海を股にかけた高度回遊性の魚である。それだけに、海の些細な変化にとても敏感で、自分が成長・繁殖するために少しでも合わない環境からは、さっさと離脱する正直者だ。そんな魚が、過去何十年という経験則では予測しがたい動きに転じていたのである。 その頃(20年ほど前)、日本の沿岸では、戦争によって海の営みの停止を余儀なくされた戦後明けに比べれば魚は捕れなくなったとはいえ、今の現状から比べればはるかに大量の資源にあふれており、統計上も潤沢に横ばい安定状態が続いていたが、海と魚の変化は既に大海では人知れず進行しつつあったわけだ。たとえて言うならば、途方もない大きな津波が来るときに、その速度が極めて遅いと人は津波と気づかないということに重なる。 そうしているうちにさまざまな変化の頻度が増し、更にこの5~6年で加速している。プリ、サワラ、マグロ、サケ、サンマ、トラフグなどの回遊魚を中心として魚の北上が始 まり、漁場が変わってきたのに加え、本来は南方にいるはずの稚魚類が北の海で見られるようになり、最初は低水温で死滅していたものが生き残り成長し定着するようになった。 最近、低利用や未利用と呼ばれている魚たちのほとんどは、実は南のほうでは普通に流通されている魚である場合が多く、これが北上し見たこともない魚が捕れ始めたため、そう呼ぶに過ぎない。また定着性の、たとえばイセエピなども、往年の名産地から姿を消しつつあり、より北の産地が生まれたりしている。これらの現象は、水温、海流、餌の消長、などの海洋環境の変化によって起こるわけだが、更に最近は、陸上環境が海の酸性化や生物生態系の変遷にも影響を及ほしているというレポートもあり、要因の複合化が進み、どう対処をすればどのように改善するかといったかつての単純さは、ますます混迷しつつある。津波は速度を速めたのだった。 環境を壊さず乱獲をしないという対処法は、資源維持の基本であるが、ここ数年は特に漁業や水産に関係のない生物たちが大きく棲み方を変えているところをみると、この変化は、人間ごときが多少反省して湿暖化防止などに取り組んだ程度では、とうてい巻き戻すことのできない状態であるということが、いよいよ理解されてくるのである。 ということであれば、島国ニッポンの根幹たる魚食はどうなっていくのか。その答えは、「変わりゆく自然に寄り添う」という一言に尽きる。人間の文明と経済優先の所業は、自然界の観察と学びから人間を遠ざけ、結果として今がある。これまで人間が、ほしいものだけを捕り、いらないものは捨ててきた経済を見直し、日本古来の「まんべんなく、余すことなく今あるものをいただく」という精神に立ち返り、経済システムを再構築するところに、魚離れからの脱却、ひいてはわが国水産業の生き残りの意義が見いだされるのだと思う。 今般のコロナ禍では、飲食店が感染症予防対策のあおりを受けた規制によって休業や時短営業をよぎなくされ、その受け皿として家庭で食事ないし調理をする「内食」が復活した。すると、売り上げが減少傾向で普段は売れないはずの魚が売れるようになり、前年対比 100%を超えた鮮魚部門が続出することになった。このことは、ネ ット動画で場所や ジャンルを問わず学べる今の時代において 、「自宅で過ごせる時間と質の良い魚を買うことができる環境さえあれば、家庭で魚料理をする伸びしろがあるのだ 」という事実を浮き彫りにした 。これは想定外の朗報であった。 このように、大きなピンチの中にはいつも複数の小さなチャンスが必ず隠れているものだ。”魚離れ” が叫ばれて久しいが、ただ悲嘆に暮れているだけでは明るい未来はやってこない。逆境にあっても常に注視・ 観察する姿勢をもって、日本の食を守っていかねばならないのである。

(出典)マルハニチロ(株)調べ(2017年9月9日~9月11日実施、 インターネットによるアンケート調査、配偶者がいる人(410人)が対象) 男女間の印象における、こんな興味深い調査も。恋愛において「魚を自分でさばける人はカッコイイ」と回答した女性の割合は、なんと約8割に上った。また、魚を週に2日以上食べる人は週に1日以下しか食ぺない人よりも、「夫婦仲がいいと思う」と回答する割合が高くなっている。これらの結果を見るに、男性に対して魚食の意義を訴えることも魚食普及につながるかもしれない 『Renaisance Vol.13』ダイレクト出版 「魚離れの実相」事実の理解とその対策・展望を考える  上田勝彦氏より R050608