しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

第2章 ダイオキシンは如何にして猛毒に仕立て上げられたか ●ダイオキシンは本当に猛毒なのか

第2章 ダイオキシンは如何にして猛毒に仕立て上げられたか ●ダイオキシンは本当に猛毒なのか 最近の世の中でダイオキシンほど騒がれた化合物はない。僅か30年ほど前には、日本の社会でダイオキシンという化合物の名称を知っているのはごく一部の人に限られていた。それが今では「ダイオキシン」と言えばほとんどの日本人が「猛毒だ」と反応するまでになった。 なぜ1億人もいる日本人がそんな状態になったのかというと、ダイオキシンというのは「人類史上、もっとも強い毒性を持つ化合物」と報道されたからだ。それも、たき火をしたり、魚を焼いたりするだけで発生するというのだから驚く。 新聞やテレビは毎日のように繰り返しダイオキシンのニュースを流し、1999年には「埼玉県所沢産の野菜から高濃度のダイオキシンが検出された」とする「ニュースステーション」(テレビ朝日)の報道をきっかけにして、所沢産野菜の価格は暴落し、スーパーなども販売を中止する騒動が起こった。 当時1束70~80円で取引きされていたが、翌日には半値に、 3日目は3分の1にまで暴落、全国展開の大手スーパーからも、所沢市産の野菜は出荷しないでほしい、販売も見合わせるといった不売が続出し、さらには埼玉県野菜の全品取扱い中止を行った量販店もあったという。もちろん生産農家は甚大な被害を蒙った。 あまりにも世論が沸騰するので、日本政府も「ダイオキシン対策」を進めてきた。ダイオキシンが発生すると言われていた日本の焼却炉を全部入れ替えたり、環境運動団体に「あそこはダイオキシンが多いのではないか!」と指摘されると1箇所の分析だけで50万円もするような費用をポンと出して測定会社に依頼したのである。 実は筆者も平成12年(2000年)まではダイオキシンは猛毒で、こんなものを人間がつくったのは大変なことだと思っていた。そして、科学者の一人として、今後はダイオキシンを発生させないような物質をつくっていかなければならない、科学にはそういう使命がある、などと思っていたのだ。 ところが、平成13年(2001年)の1月のことだった。「学士会報」という雑誌に、当時、東京大学の医学部教授だった和田攻先生が「ダイオキシンはヒトの猛毒で最強の発癌物質か」という題名の論文を発表されているのを目にした。 この論文を読んだ時の驚きを筆者は今でも覚えている。なぜなら、和田先生といえば東京大学医学部の教授というだけでもご高名であるが、人体への毒物に関しては日本で最高の知識と経験を持った人だったからである。しかし、あまりにも論文の内容がショッキングだったので、筆者は大学の図書室に行って和田先生が執筆された著作を読んでみた。予想通り和田先生には膨大な著作があり、そこには人間に対する毒物とその影響が書かれていた。大変に多くの見識を持つ専門家であるというのが、その時の筆者の印象だった。 和田先生のこの論文には、「ダイオキシンが人に対して毒性を持つということははっきりしていない、おそらく:まそれほど強い発ガン性を持っているとも思われないし、また急性毒性という点では非常に弱いものではないか」という主旨だった。 筆者は科学者でありながら、それまでダイオキシンについてはマスコミから報道されることをそのまま鵜呑みに信じていた。後になってずいぶん反省したが、当時は、マスコミがダイオキシンは猛毒だと報道しているのだからと、それをそのまま受け止めていて、自分で調べることをしていなかったのだ。 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか武田邦彦 洋泉社刊 2007年 20230728  68