しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

正常な精神を取り戻すこと

正常な精神を取り戻すこと このような需要を創生するというタイプの商品のなかでもたしかに生活に役立ち、人生を豊かにしたものもありますが、その反面、本来的には要らないものが多く作られたことも、わたしたちの生活実感として感じることができます。 考えてみると、日本をはじめ東洋の人はあまりお酒を飲まない民族でした。今でも、イスラムの教えを守っている国の人はほとんどお酒を飲みません。また多くの東洋の諸国では外でお酒を飲まない習慣があり、街頭で酔っばらっている人は見かけません。これに対してヨーロッパやアメリカでは昼からアルコールを飲む習慣がありますが、比較的アルコールに強く、公衆道徳がうるさいこともあって、これも、人前で醜態をさらけだすようなことはありません。 その点、最近の日本だけが行き過ぎているとも感じられます。夜の一時頃、山手線に乗りますと電車の車両全体がアルコール臭く、一つの車両にはかなり酩酊している人がいます。もし、人間の生存の制限が取り払われ、「衣食足りて礼節を知る」なら、自由にお酒を飲めるようになったときには、公衆の面前で酩酊しないのが本当かもしれません。 戦後、日本人の収入は格段に良くなり、わたしたちは「自分がやりたいこと」を比較的自由に選択できるようになりました。収入が少ないことは決して悪いことではありませんが、やはり選択する余地が少ないと言えます。 今や、わたしたちは十分な食事をとることもできますし、健康のために腹八分目で押さえることもできます。お酒を浴びるように飲むこともできますし、五勺の酒を楽しむ自由も認められているはずです。 家具や調度品もある程度のものは買うことができ、居間を広々と使うことも、ところ狭しとソフアを並べることも可能です。と思いますが、本当はそれほどの自由を持っていないのではないでしょうか? お酒の例で判るように、わたしたちは自分の意志で動いているようで、実は社会全体のプレッシャーで生活をしています。厳しく言うと、どれもこれも自由にはなっていないとも言えるのです。せっかく、収入が増え、それほど一所懸命に働かなくても良いはずなのに時間は少なくなっていきます。いつもせかせかと忙しくしていなければならず、食事と言えば、腹八分目が良いのに目の前には溢れるばかりの料理が並びます。 「電車に乗ると車内がプーンとアルコール臭い」、「車でしか帰れない場所に居酒屋がある」という「環境」はわたしたちに影響を与えます。つまり、環境は一度、破壊されると、破壊された環境からのメッセージで社会がゆがみ、さらに矛盾した環境が形成され、それがまた判断を誤らせるという結果をもたらします。 この「スパイラル現象」は人間の感性を意外なところまで連れて行き、普通ならすぐにでも気がつくおかしなことも判らなくなってきていると思われます。わたしたちの環境を正常に戻し、そして正常な精神を取り戻すことから始めなければならないでしょう。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231115   145