しあわせみんな 三号店

日本人は太古の昔から「しあわせみんな」という素晴らしい知恵をもって生きてきました

普通の時間

普通の時間 人生には、「普通の時間」というものがあります。朝、顔を洗うとき、淡々と仕事をこなすとき、部屋の掃除をするとき、そんなときは時間は平坦に進みます。しかし、そのときでも人間はやがて感動する時間がくるのを待っているのです。そして、その時間がきた瞬間、人間は深く感動し、それによってそれまでの平坦な時間がぐーっと引きのば されて、無限の時間を感じるのです。 「秒」や「分」ではかることができる物理的な時間は、人間のこころの深い部分との関係はありません。それらは一定のスピードで過ぎ去る時間であります。物理的にはその通りですが、わたしたち人間は、一瞬の時間を無限に長く感じることもできます。それは「感動」を伴っていることが条件になり、さらに「感動できるこころ」を持っていること自体がそれを受け止める前提条件でしょう。 とびきりの速度で走る新幹線、冷凍食品とコンクリート空間ですっかり現実と離れてしまったわたしたちのこころは、今や感動する時間が得られるかどうかの瀬戸際にあります。最近、若い人たちが異性を「強く愛する」ことが少なくなってきたようにも思えます。自分を捨てて相手を愛すること、このような激しい情熱が人生に無限の時間を与える、それは多くの人たちが感じてきたことでもあります。 また、感動はわたしたちのこころに想い出を残します。感動が深ければ想い出は時を越えてわたしたちのこころに残り、たった一瞬のできごとが、その後の時間の過ぎ方を変え、その人の人生の時間を長く、深く、豊かにしてくれるのです。忙しかったあの頃、何もしないうちに時間が流れたあの頃のことが信じられなくなってくるでしょう。 こびとの国で有名なガリバー旅行記は、今から三〇〇年ほど前にイギリスのスウィフトという作家が書いた小説です。「こびとの国」にいったガリバーが眠っているうちに大勢のこびとに縛られた絵があまりに強い印象を与えるために、おとぎ話と思っている人も多いようです。 このガリバー旅行記は人間が一所懸命になっている科学や経済学などがいかにインチキなものか、人間はそれによって幸福になるとは思えない……ということをこびとの国、巨人の国、馬の国などに擬して警告している奥の深い小説です。その意味では子供のときに読むより大人になって読んだ方がずっとおもしろいものです。 そのなかに「長寿の国」というのが出てきます。中野好夫さんの訳(新潮社)を少し引用します。 「通常彼らは三十歳頃までは挙動すべて常人と同じことだが、それからは漸次意気消沈しはじめて、その後はそれが昂じるばかりで、やがて八十歳に達する、(中略……その年)になると、彼らはもう他の一般老人のあらゆる痴愚と弱点とを網羅しているばかりでなく、おまけに決して死なないという恐るべき見込みから来る、まだまだ沢山の弱点を併せ持つことになる。(中略)中でいちばん若いのはまだ二百歳になるかならずだった。彼らは、我輩が非常な旅行者であり、全世界を見てきた人間だと聞いても、別に質問ひとつする好奇心があるわけでなく、ただなにかスラムスキュダスク、すなわち記念の品をくれという、(中略)永生に対する我輩の激しい欲望が一挙に醒めてしまったことは、読者諸君にも容易にわかってもらえるだろうと思う。我輩は、心に描いていた楽しい幻影を心から恥じるようになった。たとえどんな暴君が案出するどんな恐ろしい死であろうとも、このような生を逃れるためならば喜んで飛びこんでみせると思った。」 スウィフトは彼一流の激しい皮肉のなかに、感動のない生は一番辛い死よりも辛いと書いているのです。生は単に長ければよいというわけではない、生命は輝いている故に、常に輝くことが求められるというのです。 わたしたちは今、この不死の国にいるのでしょうか? それとも、感動と命のなかにいるのでしょうか? 著者は感動は「求めなければ得られない」と感じています。そして、感動が得られるかどうかはその人の能力にも運にも左右されません。得られるかどうかはその人がどのくらい感動を求めるかどうかにかかっています。失敗の危険性が高い方がもちろん深い感動が得られますし、失敗は強い悔悟を呼び、それが次の感動をもたらします。 『日本社会を不幸にするエコロジー幻想』 武田邦彦著 (青春出版社 平成13(2001)年刊) 20231129 188